2016年03月19日

自主上映する動機について







この映画を観た感想は人により様々です。



「バスタオルなしでは見られないよ」という人もいれば「あの校長だからできた」とか「この映画が必要とされているのを知り、やっぱり日本の教育は世界の周回遅れなのを再認識した」「ようやくこの段階ならばこの何十年は何だったんだろう?」とか「若い先生がかわいそう」とか、他にもいろいろ。



絶賛から異論反論までまさに多種多様。
しかし何も語らない、つぶやかない、思わない人はたぶん少ないと思います。
ザワザワ、モヤモヤしたものが心に産まれて人に伝えたり人の意見を聴きたくなるのです。

*僕らは月初にホントに語る会をCafe Musu.B (カフェムスビー)で開催しました。( ´ ▽ ` )ノ
http://lamp.or.jp/project/day-activity.html




6月末に豊田市山間部(旧町村エリア)にて自主上映会を開催する決断をしたのは、僕らがバスタオルを必要としたからではありません。(僕は最初から最後まで泣いてしまった。)
子どもたちの感想を聴いて、子どもたちが必要としている映画だと思ったからです。

正直大人はどうでも良いのです。
歪んだ子ども観を持つ"気づけない"大人が気づくようにすることになんて、本当は力を注ぎたくないのです。

子どもにこの映画を観て大人になってほしいと思います。
そして映画から好みの材料を拾って自分なりの素晴らしい子ども観を作り上げて、未来の子どもたちを育ててほしいのです。
それが上映の動機です。

だから子どもが映画を観られなくなるようなアクションを大人にはして欲しくないなとは思います。
(こういうことを言うと、みんなの議論を封殺してしまうことにつながりかねないからあんまり言わないようにしようとも思っていますが、しかし、観る機会を与えてあげるべきレヴェルの映画だと思います。)



例えばそれは、あるオルタナティブスクールやデモクラティックスクールや野外保育を必要としている子どもがそこに行きにくくなるようなアクションを、別のオルタナティブスクールやデモクラティックスクールや野外保育の大人にはして欲しくないという気持ちと同じです。

足を引っ張り合わないように。
それはいま強く思います。

互いに学び合い、あ、この子はあそこの方が合うかも、と紹介し合う心の柔らかさがほしいです。
選択肢を減らしちゃいけないから。



しかし身体と心にガチガチに力が入っていたらそれは無理だから、たまにはほぐすことが必要です。

それぞれ自分なりにがんばっている。
それはわかる。

でもずっと力を込めすぎたら想いはつぶれて硬い硬い結晶のようなものになり、形をより善く変えることができなくなります。



映画を観てザワザワ、モヤモヤすることは少し強めのストレッチのようなものかもしれないですね。











































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Posted by yamanosaryo  at 05:09 │映画『みんなの学校』自主上映会